IMEとAgentic Coding
IMEの漢字変換に慣れすぎて、手書きで漢字が思い出せなくなってひさしい私です。 しかし面白いのは、漢字を「書く」力は衰えても、「読む」力や「正しいかどうかを判断する」力はあまり衰えていないことです。 例えば、「測る」と「計る」の違いを意識して使い分けることはできますし、漢字の読み方もある程度は覚えています。 つまり、漢字を正しく出力できるかどうかはIMEに任せても、それが正しいかどうかを見極める力は人間側に残り続けるわけです。
最近のAgentic Codingにも、このIMEの体験に似た構図を感じます。 Agentic Codingによって確実にコードを書く力は低下するでしょうが、「正しいコードかどうか」「意図に沿っているかどうか」を判断する力」は、今後ますます重要になるように思います。 漢字のように、コードも「書く力」は機械に委ね、「読む力」「判断する力」に人間が集中していく。そんな分担が自然と進んでいくのではないでしょうか。
ただし、Agentic CodingがIMEと少し違うのは、出力したい「正解」が最初からはっきりしていないことがあるという点です。 IMEの場合、出したい漢字は頭の中にありますが、Agentic Codingでは「何をどう作るか」がまだぼんやりしている段階からでもAIに書かせることができます。 これはとても面白い体験だと思っています。 AIにコードを書かせながら「やりたいこと」がだんだんはっきりしてきて、出力されたコードを元に改善していく。コーディングしながら解像度が上がっていく。 このように、AIと対話する中で設計や要件そのものを洗練させていくスタイルは、従来の開発フローとは異なる新しい創作のかたちになるでしょう。